「死ぬ気で勉強しろ」は無駄な声掛けである。
タイトルから想像する議論ではなかった。下のリンクから内容をご確認ください。
wired.jp「まさに今もうすぐ死ぬかもしれない」という状況下では「火事場のクソ力」が発揮される,という話かと思ったら違った。バスケットのシュート成功率だそうで。なんだかなあ。
勉強面においても,「死」を意識させるとパフォーマンスは上がるのだろうか。
死ぬ気で勉強しろ,は意味がない
11月に入り受験生は志望校が固まり始めたころ。目標さえ決まればあとは勉強あるのみ,であるのだが,こういう時によく聞く言葉は「死ぬ気で勉強しろ」ですね。私も何かのはずみで使ってしまう言葉です。しかしこれほど抽象的な言葉はありません。
具体的な指示がなければアドバイスとしては無意味です。「本気で勉強しなければ合格しないよ」という言葉でさえ,具体的ではありません。
最近保護者面談を繰り返す中で,特に受験生の保護者から頂く声があります。
「うちの子,なかなか本気にならない。」
「ずっとスマホをいじってばかりいる。いつ勉強しているのか。」
という相談から始まり,しまいには
「あまりにも休憩が長いから,勉強しなさい,って言っちゃいましたよ」
というエピソードまで頂くことがあります。この「勉強しなさい」はよろしくない。自身の経験に即して考えれば,この言葉が及ぼすマイナス面は容易に想像できるでしょう。
「死」よりも「目標」を意識させよう
「死」を意識することでパフォーマンスは向上するかもしれないけれど,なんだかそれでは悲しいですね。どうせ向くなら「死」の向きではなく,「生」の向きでありたいものです。人間の尊厳として,「生」を意識することが必要です。だから,「死」ではなく「目標」を決めて,スモールステップで実行していく方が,パフォーマンスとしては向上するのではないでしょうか。
「死ぬ気で勉強しろ」と声掛けすること自体はいいと思いますが,そこで終わりにならないようにしましょう。じゃあ,どう勉強すると効果的なのかを具体的にアドバイスするのです。どの問題集を何ページいつまでどこでどうやってやるのか,の「5W1H」を軸に話すと意図が伝わりますよ。
そして最後に言うのです。「勉強で死んだ人を見たことはないよ。」と。