そろそろ自分のための時間を確保したい
10年間「読書ノート」が続いている私のEvernoteを使った読書ノートの作り方|いつもていねいに
最近Evernote復活させてkindleも使うようになったので渡りに船な内容。参考にさせて頂きます。あとは本を読む時間を確保するだけ…
2018/09/10 08:05
そして時は過ぎ、ついには所帯持ちとなった今日この頃、私の一日は「家族」のために捧げられている。そのため「自分のため」の時間が次第になくなってきている。いや、時間はある、ただそれを有効に使っていない、と表現したほうが適切か。
どうしてもからだが動かないのである。子どもが寝て、さあこれから自分の時間、となったとき、どういうわけか、椅子に面しているお尻、ここから根っこが生えてくるのである。動けなくなるのだ。あれもしたい、これもしたい、と頭の中ではワンダーワールド炸裂なのだが、その妄想を実現する「行動する意思」がごっそりと削がれてしまう。
人間とは習慣の生き物だ。ひとたび堕落すると、そしてその堕落が習慣となると、負のスパイラルから抜け出せなくなる。めんどくさい、めんどくさい、そんな声が心の底から湧き出てくるのである。
これではだめだ、と思った。人間として、何かを失っているに違いないのだ。年を取るとはこういうことか。心の声に敗北し服従することなのか。老いとはこういうことか。
よって再びブログをはじめることにした。今の自分に必要なことは「習慣を変える」ことである。心の中で「変えたいなぁ」と思うだけでは不十分なのだ。行動から変えていかないと。ということなのだ。きっと。
心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。
よく聞く名言。
何かを変えるためには大きなエネルギーが必要。
変わらなきゃ、変わらない。
過去問題集による対策の有効性と著作権と。
最近,過去問を削除する動きが強まっています。www.yomiuri.co.jp
Twitterでも触れましたが弊社も例外ではありませんでした。
これはひどい。弊社も内部データベースとして過去問のpdfを蓄積してきたが、今年になって全部消えたのはもしかしてこのせい。 / “旺文社、過去問をPDF保存…外部指摘受け削除 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)” https://t.co/M4kQc7ObyV
— にくきゅう⊿ (@maimai_nogi) 2016年11月11日
もちろん過去問の著作権は出題学校に帰属するため,無断でコピーするのは有料参考書を無断でコピーするのと同様に違法です。
試験対策として過去問演習は有効なのだが…
入試が近づくと過去問演習が始まります。実際に出題された「傾向」を実感することができ,また演習した結果発見された自分の弱点を克服するきっかけになります。過去問演習は入試対策においては不可欠なものであります。
過去問はまっとうに「購入」すればいい
本屋に行けば過去問を買うことができます。そう,それだけのことです。過去問の有用性を認め,その価値を認め,購入。買ってしまえばあとは自分の好き放題,というわけです。
しかし,例えば個人塾や中小学習塾はそうはいかないのが実情ではないかと思います。過去問対策は,受験生の志望校を中心に,時には志望校ではない学校の過去問を解くことも必要になります。また過去5年分を演習できたところで,第一志望校であればさらに過去の問題を演習する必要があります。多くの過去問が必要なのです。すべての過去問をそろえるだけの経済的体力がある塾はそう多くないのではないかと思うのです。
定期テストの過去問を配布するのも同様に違法
特に個人経営の塾は「地元密着」を謳いますから,近隣中学校の過去問をストックすることはよくある話です。しかし,公立中学校とはいえ著作権は学校側にあります。塾が勝手に生徒から定期テストを借りてコピーしストックし,それを商用に利用することはあきらかな著作権違反です。
著作権法の第36条では,「営利行為として試験問題を複製するには,著作権者に補償金を払うか,著作権者の承諾がなければならない」ことになってます。
公立中学校の過去問は販売していない
しかし本屋で買うことができる過去問と,公立中学校の過去問は,その性質を大きく異とします。地元の中学校の過去問は販売していません。試験対策としての過去問演習はとても有効であることをさきほど申し上げました。それゆえ個人塾は過去問をストックするのです。
過去問の扱いはもっと柔軟にするべき
街の個人塾では「定期テスト対策します!」と大々的に宣伝していますがその実情はストックされた過去問の演習と傾向分析からの問題演習なのです。下手すれば過去問を配るだけで「試験対策だ!」と豪語している塾もあります。
学校側はこの実情を把握しています。把握していながらも何もアクションを起こしません。違法であるということがわかっているのに、です。別に法を犯していても学校側に実害が加わるわけではないし、上で述べてきたような塾の実情をある程度は理解しているからです。
世間の目が公立中の過去問配布を許容するのであれば,冒頭の記事にもある旺文社の過去問や,弊社の過去問利用についても,もっと柔軟に対応する余地があるのではないかと思います。使用側の責任に終始するのではなく,運用されている法律の妥当性についても議論されるべきと考えます。
受験界の「ブラックジャック」を待ちながら
そもそも紙ベースでの保存は合法だがPDF 化したら違法とはどういう理屈なのでしょうか。そして本屋で販売されているような学校の過去問が紙ベースでストックされていたとして、学校側の「実害」はどのようなものでしょうか。
著作権者が承諾さえすれば過去問を配布することはできます。最近では学校説明会で湯水のごとく過去問を配る学校も少なくありません。いっそのこと著作権フリーの入試問題を作成し、多くの受験生がその問題で入試対策すれば、あわよくば受験者・入学者が増えれば学校側のメリットも増えます。
権利と現実のバランスは難しいですね。実情に即した法整備をお願いしたいものです。
「勉強したくても気が乗らない,でも勉強しなくちゃいけない」という時。
「手を動かさない」人は,何かしら理由を付けて「やりたくない」という意思を,無意識に通そうとします。
勉強,なんて最たる例ではないですか。学生の時を思い出してください(学生の人は試験前の気持ちを思い出してください),周りから「勉強しろ」と言われても,素直に聞き入れるよりも前に,何かしら「言い訳」が立つことがありませんでしたか。
まずは「1問だけ」
勉強しなければいけないと思いながらも,どうしても始められない。そんな経験誰にでもあるのではないでしょうか。上のリンク先にも書いてありましたが,
「手を動かさない人」へのアドバイスは、とても難しい。」
という事実だ。
人にアドバイスを求めるなら、まず作品を作ってからにする必要があると、彼らは言っている。
結局自分でスタートして,その時に感じた実感をもとにしないと,いつまでたっても何も進まない。人に「成功法」を聞いただけで,「捕らぬ狸の皮算用」をしてしまい,いつの間にか自分も成功した気になってしまう。実際に手を動かしてみることがいかに重要かがわかる。
勉強に関しては,まずは「1問だけ」のつもりで,無理やり始めてみるとよいと思います。気が乗らなくても,時間がなくても,まずは机に問題集をバッと広げて,筆記用具も用意するのです。そして「あとはペンを動かせば解ける」状態まで作ってしまうのです。目の前にそんな状況があれば,不思議なことに,勉強する気になってしまうのです。きっと脳の中の分泌物に影響があるのだと思います。ぜひ一度試して頂きたいですね。
使用側の問題。
www3.nhk.or.jpポケモンGO,やったことがないのでわかりませんが。
「運転中にゲームをしないなんて当たり前だ」という声も多く聞きますが,この変更はいわばひとつのパフォーマンスであり,過剰に反応することで話題性を集め,多く色々な人に周知するためのひとつの方法であることに気付きます。
死亡事故まで起こしたポケモンGOですから,今後も金づるいやゲームを存続させるためには必要な措置であったのだと思います。きちんと私たちは反応して,対応しましたよ,と世の中に知らしめることは必要です。逆に,世の中のさまざまな声に反応せずに放置してしまうと,「あの会社は何もしないコンプラ意識希薄な会社だ」のような炎上が起こるのです。ですから,今回の仕様変更は,必要なことだったのです。
「死ぬ気で勉強しろ」は無駄な声掛けである。
タイトルから想像する議論ではなかった。下のリンクから内容をご確認ください。
wired.jp「まさに今もうすぐ死ぬかもしれない」という状況下では「火事場のクソ力」が発揮される,という話かと思ったら違った。バスケットのシュート成功率だそうで。なんだかなあ。
勉強面においても,「死」を意識させるとパフォーマンスは上がるのだろうか。
死ぬ気で勉強しろ,は意味がない
11月に入り受験生は志望校が固まり始めたころ。目標さえ決まればあとは勉強あるのみ,であるのだが,こういう時によく聞く言葉は「死ぬ気で勉強しろ」ですね。私も何かのはずみで使ってしまう言葉です。しかしこれほど抽象的な言葉はありません。
具体的な指示がなければアドバイスとしては無意味です。「本気で勉強しなければ合格しないよ」という言葉でさえ,具体的ではありません。
最近保護者面談を繰り返す中で,特に受験生の保護者から頂く声があります。
「うちの子,なかなか本気にならない。」
「ずっとスマホをいじってばかりいる。いつ勉強しているのか。」
という相談から始まり,しまいには
「あまりにも休憩が長いから,勉強しなさい,って言っちゃいましたよ」
というエピソードまで頂くことがあります。この「勉強しなさい」はよろしくない。自身の経験に即して考えれば,この言葉が及ぼすマイナス面は容易に想像できるでしょう。
「死」よりも「目標」を意識させよう
「死」を意識することでパフォーマンスは向上するかもしれないけれど,なんだかそれでは悲しいですね。どうせ向くなら「死」の向きではなく,「生」の向きでありたいものです。人間の尊厳として,「生」を意識することが必要です。だから,「死」ではなく「目標」を決めて,スモールステップで実行していく方が,パフォーマンスとしては向上するのではないでしょうか。
「死ぬ気で勉強しろ」と声掛けすること自体はいいと思いますが,そこで終わりにならないようにしましょう。じゃあ,どう勉強すると効果的なのかを具体的にアドバイスするのです。どの問題集を何ページいつまでどこでどうやってやるのか,の「5W1H」を軸に話すと意図が伝わりますよ。
そして最後に言うのです。「勉強で死んだ人を見たことはないよ。」と。
「日本工業大学」騒動は受験生にも影響が。
今回の「炎上」は,思わぬところにも余波が及びそうです。
事故を起こしたのは「日本工業大学」の学生とのこと。今回のオブジェの設計そのものに危機管理性を認めることはできず,製作した学生もさることながら管理者としての主催者側の対応にも批判が集まっています。
そもそも素人が見てもあきらかに「燃えそうな素材で作られている」ことが,なぜ「理系」の学生がわからなかったのか。「白熱灯はできるかぎり離していた」というコメントもあるようだが,いずれにしても発火の危険を認識していながら,管理としては「放置」していたことへの批判は免れません。
これを受けて,「日本工業大学」に対する評価もまた影響を及ぼしています。受験生にとっては今の時期が「志望校決定」のヤマ場です。付属校である「日本工業大学駒場中学校・高等学校」に「本当にこの付属校に入学させて大丈夫なのだろうか」といった保護者の声があがっています。塾としても,今回の事件を受けて「日本工業大学」の冠がついている学校を推薦することは難しくなってしまいました。
今後「日工駒場」の人気は落ちるかもしれません。しかし日工駒場は歴史ある学校。さらに来年度からコース変更が多くあり,「生まれ変わる」印象から人気や偏差値は上がっていました。無下に選択肢から外すにはもったいない学校。逆に今こそ「日工駒場」を狙うにはちょうどよいタイミングかもしれません。
先生も勉強しています。
生徒に対して,「毎日勉強しろ!」とか「苦手教科は問題集たくさん解け!」などとさんざん言っていますので,先生も負けじと勉強しています。
地元の電源があるカフェや図書館で出勤前に。
高校生からの質問の中には,担当教科外の科目もあります。私自身は法学部出身ですから理系教科は専門外でした。しかし生徒からの質問は理系教科の方が多いのです。確かに質問するとしたら国語や社会よりも数学や理科ですよね。
生徒にとったら回答者が文系か理系かなんて関係ないのです。「先生,この数学の問題なんですけど…」と質問されてわからない,なんて情けないじゃないですか。だから私は大学受験生と同じように,参考書で知識を得て問題集を解きます。毎年,ひとつの教科を決めて,「センター試験で満点取れるレベルまでもっていこう」と目標を立てます。1年かけて問題集を3,4周繰り返し,1月にセンター試験の問題が新聞などに掲載されたら実際に解いてみるのです。
この方法で数学ⅠⅡⅢAB物理化学生物を,基本的な問題であれば質問対応できるようになりました。無論日本史世界史地理(社会科の教員免許を取得しています),現文古文漢文,英語は文法から解釈まで何でも来いです。
実際に自分も勉強する事で,「勉強は楽しい」ということをより具体的に,自信をもって生徒に伝えることができます。
塾の先生の中には,「この教科は担当外だからできません,わかりません」と平然と言っている人もいます。私はそういう先生にはなりたくありません。むしろそんな先生に伝えたい。自分でも勉強しなさい,と。
それにしても猫が好きだ。